住職 栗山康永について

大念寺住職


仏教寺院はいままで「先祖供養」を中心に活動してきました。私たちの宗派も民俗的な感じが強いので、教えよりも人の願いや救いに対応してきた歴史があります。臨終の際には、ご本尊の掛け軸をおかけして、死の恐怖を和らげたり癒したり。いわゆる来迎的な役割。一つは「浄土往来」への人々の願いに応えていたのです。いまや「西方浄土」や「浄土往生」をどれだけの方々が信じているのでしょうか???そのための先祖供養という活動は脈々と残ってきました。しかし今の時代、いやこれからの時代は、もう一つの活動が何よりも大事なのです。

 

「念仏三昧による心の修行する法門」

 

これこそが忘れていたお寺の本来の活動なのですから。

西方浄土に対して、これを「常寂光土(じょうじゃっこうど)」と云います。つまりこの土(今の私たちが生きている世界)、忍土とか娑婆世界と言われるものです。この土が浄土になることをさしています。そのためにはまず私たちがいただいた目に見える五識(眼・耳・鼻・舌・身)の感覚機能を念仏修行(念仏三昧)によって研ぎ澄ますことが必要なのです。

雑念を払い、自分だけの念仏の声に集中できるのか?鉦の音だけに集中できるのか?という禅定(心の統一、集中力)体験による修行です。この目に見える五識を研ぎ澄ますことによって、目に見えない心の豊かさ、相手の気持ちへの寄り添いにつながっていくのです。

この念仏三昧(念仏修行)こそが、娑婆の世界に生きる私と真実の仏とが一体になる(一つになる)神秘体験なのです。

これは感応道交(かんのうどうきょう)というものです。

そういう修行は、私たちを娑婆(此岸)から見ていた眼を仏(彼岸)から見るという方向転換する智慧に繋がるのです。損得、善悪という眼から絶対的な真実を求める眼(まなこ)になるのです。